”人”の立場に立って考える⁈
今、私達にとって悍しい計画が進行中だ!
ヤバい!!
ワクチン摂取だってそのひとつであり、やっていることは人体実験…
mRNA型を打つと みんな はどうなるかな?
DNA型を打つと みんな はどうなるかな?
人が人にする所業とは思えぬことですが、支配者からすれば我々は人ではないのかも知れません。
それは今も昔も変わらないのです…
歴史から”人”とは何かを学ぶ
平安時代では最先端の学問であった呪術や科学、天文道や占いなどを体系としてまとめた”陰陽道”を操りる陰陽師「安倍晴明」をご存知ですか?
安倍晴明は卓越した知識を持っており、もちろん式神という「鬼神」を使役する力も他を抜きんでていたと言われます。
式神の使役した話のなかに以下の様なことがありました。
京都、広沢池ほとりの遍照寺で公家、僧と晴明が宴を催していたときに若い公家達が清明に向かって、
「そなた式神を使うということだが、それをもってたちまち人を殺すことができるか?」
と問いかけた。すると清明は
「そう容易く殺すことはできませんが少し力を入れたならば、必ず殺すことができます」
と答えた。
そのとき、ちょうど庭の池の側に”蛙”が一匹姿を現した。
それを目ざとく見つけた公家が
「あれをひとつ殺してみて下され」
と言うと、清明は…
「罪作りな…」とため息をつくき「この晴明の力を試そういうのならば…」と言って”草”の葉を一枚摘み取り呪文を唱えて”蛙”に投げつけました。
すると”蛙”はその葉に押しつぶされてぺっしゃんこになって死んでしまったのです。
式神の力”草”という式神を使役して”蛙”を殺したというお話です。
これを単に「超能力を使って人を殺しました」としてしまうと話は終わってしまいます。
マジックにタネがあるように、昔話には裏があります。
当時の時代背景から”人”について考えてみましょう。
人ではない人
当時、貴族階級において御所への昇殿が許されたのは正五位以上のものが「人」でした。
三位以上になれば父祖兄弟子孫が五位以上になれば父子までが税を免除され、六位から初位までのものや百姓や雑色人まではまだよかったのですが、賤民と呼ばれるもの達は悲惨な生活をしていたのです。
当時の支配者層から賤民は鬼や蜘蛛、天狗や河童と呼ばれていたのです。
妖怪や虫の様な扱いをされていたということになります。
少し見えてくることがありませんか?
式神とは鬼神のことだと言いました。
式神とは”賤民”として扱われた「人でない人」だということになります。
すると安倍晴明は多くの”鬼”とよばれた”賤民”を操る力を持ってたことにないります。
次は”蛙”です。
”賤民”と呼ばれる身分の低い民は海や河、池の近くに住んでいました。
住まざるをえなかった訳ですが…
河の側に暮らす民を”河津もの”と呼んでさげすんでいました。
言葉の読み方のまま”河津もの”は”蛙もの”なので蛙です。
”蛙”も人でない人だったのです。
そして…”草”が残っていますね。
ここまでお話するとだんだん分かってくるかと思いますが…
平安時代であっても百姓のことを”民草”や”人草”と呼び、これら草が住むところを”草莽(そうもう)”と呼んでいたのです。
”草莽(そうもう)”とは草深く広大な平野で草がボウボウと生やす土地のことです。
その為に草から派生した言葉にいい意味をもったものがありません。
「臭い」「腐る」などは萎えた草にはじまる言葉で、臭いから「不潔」、「不快」、「汚らしい」意味の「むさい」「むさくるしい」という表現が生まれました。
そして、公家達からすると人でないものを”人”として見ることはできません。
自分達も人でないものを”人”になってしまう…穢れてしまうからです。
この様な差別は当時は常識であり、人の様に見えても”鬼”も”蛙”も”草”も人ではない人であり、汚い、穢れた存在であった訳です。
現代でいうとハエを殺すのと感覚は一緒かもしれません…
人の立場になってみて考える
何が言いたいのかというと私達は人ではないと思われていることです。
だから私達も「同じ人だから」という甘い考え方は捨てなければいけない!
日本政府を非難してもWHOを非難しても彼らが”人でない人”の為に動いてはくれません。
それは歴史が物語っている!
自分を!家族を!守るのはあなた自身!
先ずは今の世の中を聡明に見抜いて下さい。