GWだ!遊びという呪いを打ち破れ!!
近づいてきましたGW!
自粛なんてしている暇はないですよ!
何しろ茶番劇ですから!!
お勤めの方は長いお休みが取れますよね。
こんな期間こそ、非日常を体験しに行かなければなりませんよ!
非日常を体験することは脳が危険な環境かどうかアンテナを張り巡らせる為にガンガン血流が上がり活性化していきます。
そう考えると日頃の遊びが大切なのですが、殆どの日本人が平日は仕事、休日は遊びと切り分け、意識の根底に「遊び」=「悪いこと」、「忌み嫌うこと」と認識しています。
遊びを上手く使うことが出来てきません!
「遊び」に呪いがかかっているからなのです!!
これは古代から日本文化から染みついた文化の影響からなのです。
今回はその遊びについて紐解いていきます。
平安時代からの呪い
お勤めの方は特にそうですが、平日に休暇を取り、遊びに行くことを後ろめたいと思いがちです。
遊人と言われると悪口または皮肉めいて言われているように感じるのではないでしょうか?
ここで平安時代の詩をご紹介します。
『染塵秘抄』(後白河法皇編著の今様歌謡集)に「遊びをせんとや生まれけん たはぶれせんとや生まれけん 遊ぶこどもの声聞けばわが身さえこそゆるがるれ」と読まれ歌があります。
この歌の様に平安時代の貴族達は現代人よりも遊びへの執着は強かったのです。
何せ貴族=朝臣(あそん・あそみ)は遊ぶことが仕事であり、平民の様な仕事をすることは穢れであったからです。
当時、遊人・遊男は音楽を奏する楽人のことでした。一方、遊女(あそびめ・あそびおんな)といえば、歌舞により人を愉しませ、かつ春を売る女のことです。「性」の遊びが、遊びの最たるものであったのです。
遊男と遊女の共通項には音楽があり、性と結びつき軽視された思想が近代に至るまで定着していきます。
第二次世界大戦中の学校教育では音楽は軟弱な教育だとされ、教師たちは自発的に授業の時間を軍事教練の時間に提供したのです。
戦時中でなくとも、ある女性合唱団が公共施設に、会場を借りにいった際に受付係の公務員は 「いいご身分ですね。歌なんか歌っていられて!」 と皮肉まじりに洩らしたと記述が残っています。
音楽を「ムダな遊び」と見る考えが、依然として日本の根底に流れているのです。
これは遊び=音楽=性=軽視が紐解いて定着されてたからなのです。
お勤めの人は特に感じることがあるのではないだろうか…
平日に有休を取って遊びに行くときに上司や周囲の同僚からの「いいご身分ですね」という感情を…
この様に庶民が「遊び」を皮肉として用いられたのは理由がある。
再度、平安時代に戻るが、遊びの語原が朝臣(あそん・あそみ)に根ざしているからなのです。
廷臣という宮廷に仕え、官に任ぜられた臣(朝臣も含む)となれば、労働なくして所領から食物・品が、その位階に応じて貢納される仕組みとなっていた。
廷臣の仕事といえば、下らぬことに大ゲサな儀式を執り行ったり、加えて詩歌に興じ、女遊びにふけることでだったのです。
日本には、そうした遊びを楽しみたけりゃ、まず偉くなれという思考が強い。だから今でも、子供は親に子供らしい遊びを奪われ、塾通いさせられる意識が残っているのです。
ほとんど死語となってしまったが、「〇〇様が遊ばせられました」「〇〇遊ばせ」という貴族に対して用いる言葉がある。
庶民からすれば日頃から遊んでしかいなく、貢納を強要される朝臣(あそん・あそみ)に対しては嫌悪感が付きまとう。
こういう背景も遊び=嫌悪感の意識が刷り込まれていった文化なのです。
遊びは大事
では現代人が遊びが嫌いかというとそうではなく、好きなのではあるが「きょうは一日遊んでしまった。もったいない、お天道さまに申しわけない」といった感情が、庶民階層を四六時中支配してきた。
庶民の遊びは、お上からの賜わりものであり、原則的には庶民は働くべき者であった。遊んではいけなかったのである。
だから公務員が取る休暇は「賜暇」と言う。賜るものという感情なのだ。
しかし、このGWにはその根底にある遊び=嫌悪感を打ち破り遊びに興じて欲しい。
日本の「遊び」という言葉には「ゆとり」「間・空間」の意味もある。
「ここで遊びを持たせる」「この文章には遊びがない」など物事を上手く動かしたり、品質を良くしたり、感情や情景を表すことにも遊びを上手に使っていたのである。
人生を!志ある仕事を!上手に進める為にも遊びを上手く使いこなしましょう!