本の中身をチラ見
大人達への失望
僕は中学校へ通うのをやめた
第三章、学ぶ権利と教える義務 106ページから引用
この根底には差別と偏見があるのではないかと思います。
きっと誰の心の中にもあるのだと思います。
何故かというと、誰もが一番大切なのは自分ですからね。
先生達は一人の従わない生徒よりも、黙って指示に従う生徒を中心に考えるのでしょう。
だから「マニュアルに沿って」としか言えないのでしょう。先生達にも生活がありますから、地位や名誉が大切でマニュアルから外れようとは思わないのでしょう。
僕は学校のやっている事に対して明確に異を唱えました。
先生達からすると指示に従わない厄介な生徒なのでしょう。
先生達からすると、放置して時を経て何事もなかった事になるのが一番の解決策なのかも知れませんね。
もし僕の唱えた異を是としたならば、それは文科省の指導方針に逆らう事になると考えるのでしょうが、本当にそうなのでしょうか?
僕は義務には責任があると思っています。
一方で自由にも責任が発生すると思っています。
今回の出来事は、僕は自由を選んで責任を負っています。
進学進路はハッキリと狭まりましたが、それは僕が不登校を選択した結果です。
これに対して全く文句はありません。
学ぶことも嫌いではありません。
学んだ事を使って問題解決した時の嬉しさがあるからです。
「学校で習った事は意味がない」と聞くことがありますが、僕はそう思いません。
「意味がない」ではなく意味を持たせられるように活用しなければならないのだと思います。
習った事を活用して考え、世の中の問題を探して、より良く生きる 事に活用しなければ意味を持たないのだと感じています。
コロナ騒動では学校で習ったことだけで考えることができます。
インフルエンザや他の感染症との数値の比較や、歴史的な視点、海外の数値との比較、お金の流れ、そうやって追うと幾つものおかしな点が見えてきます。
僕はそう思って先生達に「何故 教えないのか?」と問うています。
学校の先生達は、マニュアル以外の事は答えられないのでしょうか?