未知の種ーカリキュラムは要らない
未知の種を育てる喜び
あなたにしか出来ない最良の子育てとは
貴方がもし、種をもらったとします。何の植物の種なのか分かりませんが、どうしてもそれを育てなければならなくなったとします。
あなたはどうするでしょうか。
子育ては、なんだか分からない植物の種を育てるようなものです。
どうやって育てれば良いのか、全ては手探りです。お手本なんてありません。小さな種の中に、どんな才能が眠っているのかも分からない。育ちの様子を見ながら、才能を引き出すのは、この世の中のあらゆることの中で、親のあなただけに与えられた、最高におもしろく、最高に尊い使命です。
子育てと教育について、多くの人が惑わされています。子育てや教育の権威等という人たちよりも、子どもにとっては親のあなたが最高の指導者なのです。しかし多くの人たちは自分が受けた教育の呪縛から逃れられません。どんな風に縛られているのか理解していただけるよう、出来るだけ丁寧に、たとえ話でお話します。
親が与える物
あなたは何の植物の種だか分からない、未知の種をもらいました。そして、それをどうしても育てなければならなくなりました。
あなたはどうするでしょうか。取り敢えず、土に埋めて水をかけてみますか?
温かい時期に芽を出すのか、寒い時期に芽を出すのか、その種が芽を出すまで、腐らないように、根気よく見守らなければなりません。
芽が出たら、乾いた土地が好きなのか、湿った土地が好きなのか、日当たりが良いのが好きなのか、日陰のほうが好きなのか、はたまたアルカリ性の土壌が好きなのか酸性の土壌がすきなのか、日に当てて様子をみたり、水をかけてみたり、水やりはどれくらいが適量なのか、その小さな芽の様子をしっかりと観察しなければなりません。
子育てもそれと同じです。
毎日しっかり観察するのです。お母さん、お父さんは子どもに何を食べさせたでしょうか。毎日の食事が子どもの体調に影響しています。どんな服を着させて、どんな靴を履かせたでしょうか。どんな環境においたでしょうか。本に書いてあることは当てにはなりません。自分が子どもに与えた環境と、子どもの様子をきちんと関連付けて考えられているでしょうか。
才能を見つける
子どもの中に眠る才能を見つけるのも大人の使命です。子どもはみんな、どんな才能が眠っているのか、どんな可能性を秘めているのか分からない未知の種です。子どもの中に眠る小さな才能がどうやったら芽吹くのか、子どもが興味を持ちそうなものをたくさん与えてあげてください。
興味があればご機嫌ですが、興味がなければそっぽを向きます。
「せっかく用意したのに・・・。」と親のあなたは思うかもしれませんが、それで良いのです。
電車なのか、車なのか、ブロックが好きなのか、お絵描きが好きなのか、サッカーなのか野球なのかダンスなのか、たくさん体験させてあげてください。子どもは体験しないと好きかどうかも分からないのです。
好きな事を発見し、子どもが熱中したら、好きなだけ熱中させてください。子どもの頃に好きな事に熱中した経験がないと「やりたいことが分からない大人」に育ちます。子どもが熱中している最中に、他の玩具を差し出すのもやめましょう。集中力を削いでしまいます。子どもの興味は移ろいやすいので、飽きたら終わりです。無理やり続けさせないでください。
学校とは カリキュラムとは
学校は、様々な才能が眠る、それぞれ全く異なった種を同じように育てる場所です。乾燥を好むたねにも、沢山水が必要な種にも、同じように水をやります。日差しを好む種も日陰を好む種も、同じように日に当てます。そうすると育たない種が沢山あるのが分かりますよね。学校とは、そういう所です。
なかなか芽を出さない、なかなか育たない種があると、次は何をするかというと、肥料と農薬を撒きます。肥料と農薬、それが教育のカリキュラムです。大人の資格試験対策なら良いのです。それならカリキュラムが必要です。
しかし子どもを育てるために教育カリキュラムを作り、それに則った教育というのは、種が芽を出し、自然に育っていくのとは違います。教育カリキュラムを作るということは、それを与える人間の思惑通りに子どもを育てようとしているのだと、大人は気付かねばなりません。
新しい教育を創りたい
新しい学校を創りたい
そういう相談を受けるようになりました。
「一人ひとりの個性を引き出す教育が必要です。」「発達の早い子、遅い子、勉強が出来る子、出来ない子、そんなの関係ないですよね。」みんな同じことを言います。
そして、その続きも同じことを言います。
「カリキュラムはどうしましょうか。」
「遅れた子のサポートはどうしますか。」
カリキュラムとは、与える大人の思惑を子どもに押し付けること。発達が早いか遅いかは関係ないと言ったその舌の根の乾かぬ内に、遅れた子にはサポートが必要とは、発達が遅い子を本当には認めていないということです。
多くの大人がカリキュラムが必要だと思い込まされています。カリキュラムが前提として存在するから遅れた子も存在するのです。それが「早い子・遅い子」を生み出しているのです。悪いのは大人です。
今の教育が良くない事は分かっていて、新しい教育が必要だと思っている人でさえ、自分が受けてきた教育の呪縛から逃れられないのです。そんな大人には新しい教育なんて創れない。
子どもは未知の才能にあふれています。唯一無二の存在にカリキュラムは必要ありません。我が子に最良の環境を用意出来るのは、一番近くで毎日観察している親のあなたしかいないのです。
子育ては子どもの様子を見ること、子どもの声を聞くこと。観察すること。
Hyper Genius Methodで子どもたちの興味と好奇心に任せて指導をするようになって、一つひとつの未知の種は、大人の想像を遥かに超えて大木へと成長しています。